少林寺拳法について
少林寺拳法とは
■1947年(昭22)開祖・宗 道臣(1911~1980)が
香川県多度津町で創始した日本の武道(日本武道協議会 加盟 9団体の一つ)
・厚生労働省麻薬取締部(通称:麻取)が逮捕術の一環として取り入れている
・インドネシアでは、多くの国民に受け入れられている。

少林寺拳法について
少林寺拳法は、1947(昭和 22)年に創始者・宗道臣によって自信と行動力と慈悲心を持った社会で 役立つ人を育てる、「人づくりの道」として香川県において創始された日本の武道です。 自分の心と体を養いながら、他人と共に助けあい、幸せに生きることを説く「教え」と、自身の成長 を実感し、パートナーとともに上達を楽しむ「技法」、そしてその教えと技法を遊離させないための「教 育システム」が一体となっています。 人間は大きな可能性を秘めています。少林寺拳法はその可能性 を信じ、物心ともに平和で豊かな社会を築くために行動できる人を育てることを目指しています。
少林寺拳法の特徴
拳禅一如
「 拳」は肉 体を、「 禅」は精 神を 意味 しま す。身体 と心 は別 々の もの で はな く、互 いに 影響 を 及ぼ す一 体 の も ので す 。少 林寺拳 法 では 、 身体 と心を 、 どち ら に偏 らせる こ とな く 、バ ランス よ く学 習 する ことを 目 指 しま す
力愛不二
慈 悲 心や 正義 感に 溢れ て いて も、力が なけれ ば 、誰 かの 役に 立った り 、助 けた りす ること は でき ませ ん。 ま た 、ど れ だけ 力があ っ ても 、 誇り や信念 が なけ れ ば、 正しい 力 の使 い 方は できま せ ん。 力 と愛 、理知 と 慈 悲の 調和 こそ 、少 林 寺拳 法の 行動 規範 で す。
守主攻従
少 林 寺拳 法 の技 法は、 不 正な 暴 力か ら身を 守 るた め にあ ります 。 その た め、 まず守 り 、そ れ から 反撃す る 技 法体 系 とな ってい ま す。 ま た、 確かな 守 りの 体 勢を 築くこ と で、 相 手の 弱点を 冷 静に 見 極め 、有効 な 反 撃が でき ると 考え て いま す。
不殺活人
少 林 寺拳 法の 技法 は、誰 か を傷 つけ るた めの も ので はな く、自分や 他 人を 守り 、生 かすた め のも ので す。 少 林 寺拳 法の 技法 は、 人 の可 能性 を実 感さ せ 、成 長の 喜び を味 わ うた めに 修練 され ま す。
剛柔一体
少 林 寺拳 法 の技 法には 、 突き ・ 蹴り などに 対 し、 受 け・ かわし か ら当 身 で反 撃する 「 剛法 」 と、 手首を 握 る ・衣 服 をつ かむな ど に対 し て、 抜き・ 投 げ・ 固 めな どで反 撃 する 「 柔法 」があ り ます 。 剛法 と柔法 は 、 互い の特 徴を 生か し 合い 、巧 みに 組み 合 わせ るこ とに よっ て 、効 果を 倍増 させ る こと がで きま す。
組手主体
少 林 寺拳 法 の修 練は、 二 人一 組 で行 うこと を 原則 と しま す。こ れ は、 相 手の 行動に 適 切か つ 柔軟 に対処 で き る実 戦的 な技 法を 養 うた めで ある と同 時 に、共に 協力 して上 達 し、その 喜び を分か ち 合う ため です。
少林寺拳法が創始されるまでの背景と歴史
■1931年:「生きている間は死にはせぬ」
前年に一度帰国し、1930年に各務原にある飛行隊に入隊。
しかし、翌1931(昭和6)年、心臓弁膜症と診断され除隊。
当時としては平均余命1年半という重病であった心臓弁膜症を患いながらも、
再度中国に渡り特務機関として危険な仕事に従事。
危険な仕事に進んで従事している宗道臣を見て、自暴自棄になっていることを悟った陳良老師から、
「お前が一年以内に死ぬと誰が決めた?天命は、人間の計り知ることのできぬ妙理である。生きている間は死にはせぬ」
と説かれ、「生きている間は死にはせぬ」は、宗道臣の“死生観”となった。

■1947年:人を集める手段が後の少林寺拳法となる
当初は片っ端から、『人としての道』を説いて祖国復興に役立つ人間を育てようとした。
しかし、暴力が横行していた当時の若者は理想論だけでは付いてこなかった。
そんな中、旧日本軍の特務機関の任務で中国大陸に渡った際に学んだ武術の知識をもとに、
若者たちを集め、自らの理論による独自の拳法をあみ出し”自己確立”と”自他共楽”を主とした
”人づくりの教育システム”を「少林寺拳法」 と命名した。
これが香川県多度津町に少林寺拳法が誕生した瞬間だった。

■1911年:岡山県作東町に生まれる
創始者、宗道臣の幼少期は、義父が母に暴力をふるう様を直近にみており、
「力がなければ母を救うことはできない」
など悔しい思いをしたり、事件犯人の濡れ衣を着せられたりと波瀾万丈な幼少期を送る。
